「お世話が好き」を面接で聞いたら、その場で落としてた話

コラム

面接で不採用にしていた、たった一つの言葉

30年、介護の現場にいる。 その中で、面接官として何百人と面接をしてきた。

「介護の仕事が好きなんです」

この言葉を聞いた瞬間、俺は警戒する。

そして、こう続けられたら、その場で不採用を決めていた。

「お世話をするのが好きなんです」

熱意でも前向きさでもない。俺にはこれが危険信号に聞こえる。 しかも後者は、前者よりもう一段階ヤバい。

なぜか。今日はその理由を話す。


「好き」は、実は自分を守るための言葉

面接は評価される場だ。 そこで出てくる「好き」は、感情の吐露に見えて、実は違う。

一番安全で、誰にも反論されない答えを選んでるだけだ。

角が立たない。マイナス評価にもならない。 つまり「好き」は、自分を守るための一言になっている。

この裏には、だいたい3つのどれかがある。

① マウント(優位性の法則) 無難な答えを出して、評価の場で有利に立とうとする。反論されない言葉を選ぶこと自体が、もう小さなマウントだ。

② 褒められたい欲(承認欲求) 面接官に「この人は良い人材だ」と思われたい。だから相手が欲しそうな模範解答を出す。

③ 目立ちたい欲(自己顕示欲) 「私は優しい人間です」っていう自己アピール。中身より見え方が先に来てる。

3つとも、主語は「私」だ。

でも介護は、主語が「相手(利用者)」であるべき仕事だ。 面接の一言目から、もう主語がズレてる。

そしてこのズレは、「お世話をするのが好き」だと、もっとはっきり出る。

「お世話」って言葉自体、する側とされる側が決まってる一方通行の言葉だからだ。

「介護の仕事が好き」はまだ職業への漠然とした好意だけど、 「お世話をするのが好き」は、もう本人の動き方の癖そのものが出てしまってる。

だから後者を聞いた瞬間、俺は迷わず落としてた。


このズレ、現場に出ると普通にヤバい

問題は、面接だけの話じゃないってことだ。

さっきの3つが、矛先を利用者に向けた瞬間、それぞれ形を変える。

マウント → 決めつけて動かす

「〜してあげる」「〜させてあげる」

優しそうに聞こえるけど、実際は判断力が落ちた相手、抵抗できない相手から決める権利を奪う行為だ。相手が言い返せないから、誰も止めない。赤ちゃん言葉、本人抜きで物事を決める――これが虐待未満のグレーゾーンとして現場に染み出す。

「お世話をしてあげる」って言葉、実は面接の時点でもうこの動き方を予告してる。

褒められたい欲 → えこひいき

面接官に評価されたかった欲求は、現場では利用者からの「ありがとう」を求める欲求に変わる。

感謝を返してくれる人には手厚く、暴言や無反応が多い認知症の人には無意識に手を抜く。

ケアの中身が、相手の状態じゃなくて、自分が褒められるかどうかで決まってしまう。これ、介護の公平さを根っこから壊す。

目立ちたい欲 → 自分が主役になる

「私は優しい」を見せたい欲求は、利用者を家族や同僚の前で使う小道具に変える。

人前でだけ優しくする。あるいは本人の自立を邪魔してでも「私がいないとダメ」な状態を作って、自分の存在価値を証明しようとする。

これ、自立支援の真逆。依存を作る介護だ。


キャンプで言うなら

初心者に道具を渡さず、全部代わりにやる先輩がいる。

親切に見えて、実は「自分が必要とされたい」だけだったりする。 相手が独りで焚き火を熾せるようになったら、自分の出番がなくなるのが怖いからだ。

焚き火を前にして「焚き火って気持ちいいですよね」しか言えない人は、 薪集めの辛さも、雨の日に火が点かない絶望も知らない。

「好き」は結果だけ見た感想で、プロセスに向き合った人間の言葉じゃない。

積立投資で言うなら

「儲かるから好き」って言う人ほど、暴落した瞬間に真っ先に逃げる。

積立を淡々と続けられる人は、好き嫌いで語らない。 「続ける理由」を感情じゃなく仕組みとして持ってる。

介護も同じだ。「好き」だけで入ってきた人ほど、辛い現実の前で崩れる。


結論

「好き」って言葉は、相手のための言葉に見えて、実は自分のための言葉だ。

面接での「好き」は自己保身。 それが利用者に向いた瞬間、加害になる。

だから俺は、面接でこの言葉を聞いた瞬間、落としてた。

大事なのは好きかどうかじゃない。 主語が「私」か「相手」か、それだけだ。

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